敦煌

敦煌』 井上靖   ☆☆☆★

昔からタイトルだけは知っていた井上靖の『敦煌』を読了。井上靖はアンソロジーで短篇をいくつか読んだ程度で、長編は初挑戦である。敦煌とは言うまでもなく中国の都市の名前で、甘粛省の北西部にある。かつてシルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市、とWikipediaに説明がある。

20世紀になって、その敦煌市の洞窟から万巻の経典が掘り出された。これほど大量の古文献が突如出現したことは驚異的大事件であり、その史料としての価値は計り知れない、と言われる。これを敦煌文書と呼ぶが、本書はその敦煌文書が洞窟に隠された背景を井上靖の想像力で描いた、紀元11世紀頃の物語である。

本書の主人公は趙行徳。彼はエリート役人になるため超難関の試験を受けに首都・開封へやってくるが、居眠りしてしまったために試験に失敗する。

もはや人生終わりか、と目の前真っ暗になった趙行徳の前に、町中で全裸で台にくくりつけられ、売りに出されている西夏の女が現れる。新興国西夏はいわば辺境の蛮族であり、そこの女は要するに敵方の虜囚なのだ。刃物で切り売りされそうになっている女を趙行徳は金を払って助けるが、女が発散する動物的な精気と生命力に人生が変わるほどの衝撃を受ける。この時から趙行徳は西夏に行きたいと願うようになり、もはや役人になることなど眼中になくなる。

彼は金を貯めて西夏へ旅をするが、捕らえられて西夏外人部隊に入れられ、戦場へと駆り出される。そこで、戦場を生きがいとする隊長の朱王礼と出会う。朱王礼は趙行徳の才能を高く買い、書記として抜擢する。そのうちに釈経の仕事を任されることになった趙行徳は、学者を集めて釈経の一大プロジェクトに着手する…。

このように、物語は趙行徳の数奇な人生を辿ることで進んでいく。彼が手掛ける釈経のプロジェクトが、最後に洞窟の経典へ繋がっていくわけだ。しかし、本書は結局のところ経典の物語というよりは、趙行徳の人生の波乱万丈を描いた物語というべきだろう。兵士として戦争に参加し、死を間近に眺め、同時に学問に励み、色々な人間たちと出会う。魅力的な女と運命的な出会いをし、別離の悲哀を知る。そうやって彼は、人生という先の読めない冒険に立ち向かっていく。

面白いのは趙行徳の人生観で、基本的に彼は自分の運命をあるがままに受け入れる。自分の力で流れを変えようとか、野望に向かって突き進もうとかはあまり考えない。彼は人生を、自分の意志による結果でもそれを超える何者かの導きでもなく、ただ水が高いところから低いところへ流れるような、自然なものとして考えている。その力みのない、達観したような人生観は爽やかで心地よい。

導入部の西夏の女のエピソードは強烈だ。まるで伝奇物語のような幕開けなので、この後もずっとこんな調子で進むのかなと思っているとそうでもない。どちらかというと奇想天外性は少なく、主人公が虚構の人物ではあるけれども、空想された歴史小説というのがふさわしい。西夏という新しい国が勃興し、歴史が動くダイナミズムが史書や文献を踏まえて描かれていく。その描写にはアカデミックな生真面目さがある。かなり硬派なタッチである。

とはいえ、その中には濃厚なロマンの香りも焚き込められていて、その甘過ぎないバランスが読者を魅了する。趙行徳がウイグルの王族の女と関係を持つ、みたいなメロドラマ要素もちゃんとあるし、同じ女に朱王礼もまた惹かれ、かつ女は他の権力者に奪われて悲劇的な最期を遂げるなど、荒々しい運命のドラマが繰り広げられる。

とは言え、最後は洞窟の経典に集約されていくあたり、やはり硬派でアカデミックな小説の印象が強い。もっと奇想が欲しい私としてはまあまあレベルだったが、シルクロードに関心があって、あのあたりの町の雰囲気が分かる人なら、時空を超えた古代への旅を体験できるのかも知れない。