和宮様御留

和宮様御留』 有吉佐和子   ☆☆☆★

久しぶりに有吉佐和子の小説が読みたくなって、アマゾンで高評価だった『和泉様御留』を購入。私は知らなかったが、幕末の政略のために婚約者との仲を引き裂かれ、京から徳川家に嫁入りさせられた皇女・和宮は、日本史上の悲劇のヒロインとして有名らしい。なんでもドラマにもなっているそうな。

で、その史実をさらに捻り、徳川家に嫁入りした和宮は実は身代わりだった、とするのが本書である。さすが有吉佐和子、それだけで小説になり得る劇的な題材をさらに想像力で膨らませる。作家魂ここにあり。と思ったら、著者のあとがきによるとこれは純然たる空想ではなく、それなりの根拠をもとにした仮説らしい。そういう言い伝えがあり、またそう考えないと辻褄が合わない史実があるという。というわけで、もしかしたら真実はこうだったのかも、と思わせるところが本書に複雑な味わいを与えている。

それにしても、結構気分が滅入る小説である。アマゾンで紹介文を読んだ時は、皇女の身代わりとなった少女の苦難と冒険、みたいな物語を想像した。つまり、ヒロインが色々な試練に遭いつつも頑張って戦い、泣いたり笑ったりして乗り越えていく話だと思ったのである。いかにもエンタメの定石を出ない貧弱な想像と言われそうだが、普通はそう思うんじゃないか? ところが読んでみると違った。身代わりとなるフキはただ運命に翻弄される無力な少女で、ヒロインと呼べるかどうかすら怪しい。むしろ、ただ「犠牲者」という方がふさわしい気がする。ひたすら、哀れだ。

これについて著者はあとがきで、太平洋戦争で死んでいった犠牲者たちの中でももっとも無力なものへの鎮魂歌としてこの小説を書いた、と説明している。抗議もできず、逃げることもできず、ただ従順に、運命に流されるままに死んでいった者たちへの鎮魂歌。フキは、そういう人々の象徴なのである。

だからフキの悲劇には、燃え上がる生命力やバイタリティ、最後は滅ぶとしても全身で立ち向かうといったエネルギーの放出はない。鎮魂歌なのだから、そこにあるのは静けさであり、無常観であり、一種の諦念である。ひたすら悲しい。これはちょっと、私としては予想外だった。あんまり星の数が多くないのはそれが理由だ。

実際、この小説にフキの登場シーンはさほど多くない。むしろ、秘密裡にフキという身代わりを立てた周囲の人々(女たち)の人間関係、しがらみ、そして政治的駆け引きのあれこれが、フキ以上の比重で描かれている。具体的に言うと身代わり劇の首謀者である観行院、それを知って事後共犯となる嗣子、宮様の世話役である少進と能登、などである。

実際、本書の中心人物は誰かと問われれば、フキよりも観行院の方が、存在感からしてその言葉にふさわしい。といっても、さっぱり感情移入できない観行院をヒロインと呼ぶのも苦しい。正直な実感としては、本書はヒロイン不在で、ただこれらの女達がそれぞれの思惑で右往左往し、思い悩み、葛藤する中で、押しとどめようもなく残酷な事態が進んでいく、という物語だ。

彼女たちは関東=幕府を蔑視し、貴人としての家柄や格付けがすべての京都=宮廷世界に生きている。そしてそれ以外の価値観には目もくれず、心を開くこともない。彼女たちの一喜一憂は、すべてその閉じた宮廷世界の中にある。従って、当時の宮廷世界の考え方や習慣、服装、化粧方法、立ち振る舞い、躾け、礼儀作法、言葉遣いなどは、これでもかと緻密に再現されている。もしかすると、それが本書最大の読みどころかも知れない。

喋ってはいけない、音を立ててはいけない、どんなに暑くても汗をかいてはいけない。びっくりだ。異常な世界、現代人には考えられない世界である。素朴で元気な娘だったフキが貴人として躾けられていくプロセスは、ほとんど肉体改造の趣きを呈する。次第に手が細く、華奢に、色白になっていく。ああ、もう自分は、大好きだった水くみもできなくなってしまった、と悲しむフキの哀れさには言葉を失う。

それからまた、京と幕府のややこしい政治的駆け引きも詳細に描かれるが、これは複雑で分かりづらい。当時の役職名や手紙文なども精緻に再現されているようだが、正直、見たことない単語ばかりで何を言っているのかほとんど分からなかった。お前がアホだからだろう、と言われれば返す言葉もないが、このあたりはよっぽど史実に興味がある人でないとキツイんじゃないだろうか。

まあそんなこんなで、そもそも「和宮」を知らない私には難しい小説だった。当時の宮廷世界を覗く面白さはあったけれども、全体としては歴史の犠牲になった無力なものの哀れさ、人の世の無常、が強く押し出されている。どっちかというと鬱小説でした。