ミッテランの帽子

ミッテランの帽子』 アントワーヌ・ローラン   ☆☆☆☆☆

見慣れない名前の作家さんの小説なので大して期待しないで読んだが、これは大当たり。大傑作。小説を愛する方々全員に、絶対的推薦図書としてプッシュします。

今回はこれだけで終わっても良いぐらいなのだが、どんな内容か知りたい人のためにもうちょっと説明すると、本書を読み始めてまず感じたのは、なんだかとても風変りな小説だなということだった。要するに紋切り型ではない。ありがちなパターンから逸脱している。

帯には「大統領が置き忘れたフェルト帽は持ち主の運命を変える不思議な力を持っていた。フランス発、大人のための幸福な物語」とあるが、本書のストーリーとはつまり、フランスの政治家ミッテランの帽子が人の手から手へとわたっていき、それぞれの一時的所所有者の人生を変えていくというものだ。時代は今現在ではなく80年代で、だからインターネットや携帯電話やSNSがまったく登場しないのも特徴。

こう聞くと小説愛好家は、ははあ、有吉佐和子『青い壺』や松本清張『絢爛たる流離』のパターンだな、と思われるかも知れない。私もそう思った。これらはあるものが人の手から手へとわたっていくことでつながる連作短篇形式で、確かに構成は似ている。ただし本書の場合、一度帽子をなくした人がそれを探す、再登場する、あるいは今の持ち主に干渉してくる、という点がちょっと違う。単なる連作短篇の集合体ではなく、より長編的なストラクチャを持っている。

つまりこの小説では、帽子は単に短篇を束ねる小道具ではなく、人生を変える力を持ったマジカルな存在として登場人物たちにはっきり認知され、登場人物はそのために色々と行動を起こす。この違いが大きい。

じゃあ魔法の帽子をみんなで取り合う話かというと、そうでもない。やっぱり物語の中心は、それぞれの登場人物の人生のドラマである。しかしそのドラマに、帽子が強力な触媒として干渉してくる。なんせ帽子が人生を変えるのだから。

だからこれは登場人物それぞれの人生ドラマであり、不思議な帽子の話であり、不思議な帽子を探す話でもある。そういったいくつかの要素がオーバーラップし組み合わさっているところに、こんな小説他にないぞ、と感じさせる本書のユニークさがあるように思う。

それぞれの人生のドラマとはどんなものかを、ネタバレしない程度に紹介すると、おとなしい会社員の青年は別人のように堂々と振る舞えるようになって上司を驚かせる。不倫の愛に苦しむ女性の作家志望者は、停滞した現実を打ち破るために行動を起こす。才能が枯れて世間から忘れ去られた香水調合師は、新しい霊感を得て生まれ変わろうとする。保守主義者だった裕福な男はそれまでの環境に居心地を悪さを感じ始め、自分でも驚くようなもののコレクターになる。

そして先に述べた通り、これらの主要人物はそれぞれの人生を生きるだけでなく、お互いに相互干渉し始める。女流作家が書いた小説を会社員が読んで文通したり、帽子を探し求める会社員が香水調合師に手紙を出して迷惑がられたりする。こういうリンクは伊坂幸太郎の小説みたいな茶目っ気を感じさせて愉しい。帽子が人の手から手へと渡っていく方法も、それぞれ趣向が凝らされて飽きさせない。

ちなみに最初に登場する会社員は高級レストランでミッテランと隣席になり、たまたまそこに置き忘れられた帽子を手に入れるのだが、料理、ファッション、香水、小説、絵画など、80年代フランスのカルチャーに関する蘊蓄がたっぷり盛り込まれているのも本書の魅力の一つだ。そのせいで、本書には人生の美や豊かさを味わい尽くすという享楽主義的なムードが満ち溢れている。パリという舞台も、当然ながらそれにふさわしい。

そして一通り物語が収束したと思われた後のエピローグで、またまた「そんなアホな」と言いたくなる現実離れした裏話が明かされ、読者を唖然とさせる。本書の根底にある精神は茶目っ気であり、遊戯性であり、洒落のめす精神だということがよく分かる。

まとめると、本書には現実から遊離したファンタジーがあり、メタフィクショナルな遊びがあり、軽やかな人間ドラマがあり、カルチャーとの戯れがあり、80年代フランスのエレガンスがある。これらの愉悦を混ぜ合わせ、カクテルにしたものが本書だと思っていただければ良い。そしてつかみどころのないこの小説の主題を煎じ詰めるならば、人生の不思議、というものに集約されるのではないだろうか。

人生の不思議とは人間同士の出会いであり、モノとの出会いであり、ある瞬間との出会いであり、それらすべてがもたらすマジカルな変化である。すべては相互に干渉し合い、影響を与え合う。人生とはそのように予測不可能なミステリアスなものであり、愉悦に満ちた冒険なのだと、本書は読者に告げているのかも知れない。

エスプリに満ちた、美しくて風変りな小説。まるで見事な香水のような、文句なしの傑作である。