アクトレス ~女たちの舞台~

アクトレス ~女たちの舞台~』 オリヴィエ・アサイヤス監督   ☆☆☆★

2014年公開の、仏=伊=スイス合作映画をNetflixで鑑賞。『パーソナル・ショッパー』でオリヴィエ・アサイヤス監督に興味を持ったので、その前作であるこの映画も観てみた。例によって邦題はストレート過ぎてつまらないが、原題は「Clouds of Sils Maria」つまり「シルス・マリアの雲」で、スイス山中で嵐の前触れとされる蛇に似た形の雲のことである。映画の中にちゃんと出てくる。

パーソナル・ショッパー』はかなり不思議な、現実離れした映画だったが、これはそうではない。超自然的要素は全然なし。ストーリーを構成するのは女優たちの葛藤であり、主要なテーマは老いの苦悩、若さへの羨望である。

物語の中心にいるのはジュリエット・ビノシュ演じる往年のスター女優、及びそのアシスタントのクリステン・スチュワート。老いの恐怖、若さへの羨望というテーマを体現するのはもちろんビノシュで、かつて自分をブレークさせた芝居のリメーク企画において、今回は若い娘に翻弄される保守的な中年女の役を振られた、ということがそもそも気に食わない。無論、数十年前は自分が若い娘の役をやったのである。

それでも監督に口説き落され、スイスのコテージでクリステンを相手にセリフの練習を始めるが、その苦渋に満ちたセリフの数々が、役柄と自分自身の両方の心境を吐露するものになっている。というようなメタフィクショナルな仕掛けが、この映画の目立った特徴だ。

この練習シーンはかなり長くて、しかも練習の途中で急にビノシュとクリステンが素に戻って会話したりするので、映画を観ている私たちはどこまでが台本でどこまでが本物の会話なのか、混乱させられ、戸惑いを覚える。

それからマリア(ビノシュの役名)と対照的に若く、将来を嘱望されていて、しかも自由気ままな言動でスキャンダラスな話題を振りまく女優として、クロエ・グレース・モレッツが登場する。彼女は芝居が始まるまではマリアに媚びを売り、あなたの大ファンだと言い、気に入られるように振る舞うが、いったん芝居が始まると冷淡になり、老いていくものへの軽蔑を隠さなくなる。

もちろん、クロエだけでなく、身近にいて自分の面倒を見てくれる若いクリステンに対しても、マリアは友情や愛情だけではない複雑な感情を抱いている。若さとは残酷なものなのだ。

メタフィクショナルな仕掛けはまあ面白い。が、個人的には老いに怯えて若さを羨望する女優、というテーマがあんまり面白くない。永遠のテーマだとは思うが、ちょっとナマ過ぎる感じで、もう少し捻りがないとつらい。おまけにそれを表現するビノシュが泣いたりわめいたりとかなり大仰な感情表現をするので、ますますつらくなる。私はこういうのを見るとゲッソリしてしまう質なのだが、そういう映画ほど世間一般の評価が良かったりするので分からない。そのへんはもう、好みだと思ってもらうしかない。

アサイヤス監督の映画も、『パーソナル・ショッパー』より本作の方が概して評価が高いようだ。確かに前者はワケ分からない映画だったので、こっちの方が分かりやすいということはあるだろう。かつ、女優も芸達者な人たちが揃っているので、演技合戦という点では見ごたえがある。

ただ、私は母と娘がものすごい形相で相手を批判し合うベルイマンの『秋のソナタ』が大変苦手なのだが、この映画にもあの系統の匂いがするのである。雄弁な議論劇、とでもいえばいいだろうか。本作の中でビノシュは芝居の練習をしながら、また感情的になりながら、クリステンと議論を繰り返す。しかもこの練習シーンの繰り返しが長い。

ビノシュとクリステンが戦わせる演技論にも期待したが、あまり経験的に導き出されたスキルや方法論といった話はなく、主観のぶつかり合いや感情論でしかなかったのも少々期待外れだった。逆に観ていて心地よかったのは、クリステンの端正でサバサバした、クールな芝居である。アサイヤス監督はこの映画でクリステンを気に入り、『パーソナル・ショッパー』の主役に起用したそうだが、その気持ちは分かる。

映画の中で結果的にクリステンはマリアに愛想を尽かして去り、クロエは態度を豹変させる。結局、年をとった下り坂の女優がみんなに見放される話、とまとめてしまうと身も蓋もないが、やはり物悲しい結末だ。少々気持ちが萎える、ダウナー系である。

一方で、スイスの自然と雲の情景は美しかった。それから映画界、ショービズの裏側を顕微鏡で覗いているようなリアルなディテールの氾濫は、『パーソナル・ショッパー』に通じるものを感じた。