沈んだ世界

『沈んだ世界』 J. G. バラード   ☆☆☆★

バラードの初期作品を読了。SFとしては古典の部類だろうが初めて読んだ。知らない人のために簡単に説明すると、バラードは1950年代にデビューして60年代から70年代にかけて活躍したSF作家である。SFといっても、彼はいわゆる「ニューウェーヴ」の中心的な作家で、この場合の「SF」はサイエンス・フィクションではなくスペキュレーティヴ・フィクションと呼称された。

要するに外宇宙ではなく人間の内宇宙をテーマにした作家で、彼によれば真のSF小説とは「健忘症の男が浜辺に寝ころび、錆びた自転車の車輪を眺めながら、自分とそれとの関係の中にある絶対的な本質をつかもうとする、そんな話になるはず」とのことだ。なんのこっちゃ。

難解そうだと思われるだろうが、実はそれほどでもなく、彼のSFは要するにシュールレアリスム絵画なのだ。ストーリーの起伏はあまりなく、科学技術の驚異もなく、シュールレアリスティックな意匠を組み合わせたオブジェのような小説。有名なのは初期の『沈んだ世界』『燃える世界』『結晶世界』の長編三つで、全部人類の破滅を描いた小説なので「破滅三部作」と呼ばれる。特徴は、破滅をドラマティックな事件の結末や悲劇として描くのではなく、スタティックで退廃的ながら、一つの充足した美の世界として描いていることだ。

まあ、マニアックな作家であることは間違いない。その独特の美意識に共感できるかどうかがすべて、というタイプの作家で、私としては気にはなるものの微妙なところに位置する書き手だ。シュールレアリスティック絵画は大好きだし、ジャリやヴィアンやマンディアルグやグラックといった真正シュルレアリスム作家には強い愛着を感じる私だが、バラードの場合いまひとつ軽やかさに欠け、イメージの飛翔に遊び心がなく、そのかわり大衆小説的キッチュさを感じるところがマイナスポイントだ。

やはりシュールレアリスムではなくSFで、しかしSF小説が持つ闊達さや少年性、あるいは冒険小説的な純朴なワクワク感がない。さっきの「健忘症の男が浜辺に寝ころび、錆びた自転車の車輪を眺めながら…」なんてのもなんだか頭でっかちで、知的スノッブみたいで、イメージとしてそれほど面白いとも思えない。

それでも、代表作と言われる『結晶世界』は結構好きだったので、三部作の中からもうひとつ読んでみようと思って本書を入手した。『燃える世界』も読んでみたい気はするのだが、絶版で入手できない。

さて、『結晶世界』では世界が結晶化して滅んだが、本書では世界が熱帯化して滅ぶ。つまり気温が上がり、水に沈み、高温多湿のジャングルと爬虫類の世界へと退行していく。温暖化が問題となっている現代ではなかなかタイムリーな滅亡シナリオだ。本当にこうなるかも知れない、という予感がある。もちろん本書執筆当時は温暖化理論などない時代なので、バラードは地球物理学上の理由みたいなのをこしらえているが、はっきり言ってどうでもいい。バラードにおいては滅亡の理由は単なる口実で、要するに滅んでいく世界を描き、その中に身を浸していいわいいわとのたうち回りたいだけなのである。

舞台はすでに熱帯化が進んでいるロンドン。というか、かつてロンドンだった都市の水没した廃墟の上。登場人物はそこで調査に従事する国連調査隊の生物学者ケランズ、老科学者、なぜかそこに居残っている色っぽい美女ベアトリス、その他軍人など。バラードお得意の、シュールな情景の中で繰り広げられるミステリアスな人間模様である。事件やストーリーではなく、状況そのものがこの絵画的小説の主眼だ。大都会の廃墟、その上に広がる沼、ジャングル、爬虫類たち、そこに残された少数の人間たち。結晶世界とはまた違った世界終末の光景が広がる。

とはいえ、一応ストーリーもある。ここにいる人間たちは誰もが太古の夢を見るようになり、やがて一人の軍人が失踪する。まるで原始のジャングルに引き寄せられるように。つまり、人間たちも潜在的に滅亡願望、退行願望に侵されつつある。危険を感じた軍隊はその場を去り、学者二人とベアトリスだけが残る。穏やかな終末の日々が過ぎていく。次に、海賊を率いたストラングマンが登場する。ストラングマンはコンラッド『闇の奥』に登場するクルツを思わせる人物で、カリスマを備えた危険な男だが、彼のせいでケアンズに生命の危険が迫った時、再び軍隊が現れて海賊を制圧する。

大体そんな流れだが、そういう筋はまあオマケみたいなもので、物語の核心は主人公ケアンズの自らジャングルに分け入っていき、退行し熱帯化する世界の中でけだるく滅んでいきたいという衝動である。その前兆として、失踪する軍人ハードマンのエピソードがある。要するにケアンズはハードマンと同じ道を辿り、その行動を通して、この小説はデカダンな滅びの美学を現出させる。

こんな小説なので、普通の娯楽小説よりはるかに視覚的な情景描写が多いのが特徴だ。まあこれは小説の皮をかぶったシュルレアリスム絵画なのだから、当然といえば当然である。文体はいつものように緻密で技巧的。読んだあとけだるーい気分になるのも、いつものバラードである。