日本文学100年の名作第2巻1924-1933 幸福の持参者

『日本文学100年の名作第2巻1924-1933 幸福の持参者』 池内紀松田哲夫川本三郎・編集   ☆☆☆☆

「日本文学100年の名作」シリーズの第二巻目、『幸福の持参者』を読了。私は現代からだんだん昔にさかのぼる方式でこのシリーズを読み進めているが、昔のものはさずがに古色蒼然としてくるだろうなと思ったら、そうでもない。やはり名作は時代を越えるのだった。素晴らしい。こうなったら全巻揃えようかな。

ちなみに、前に読んだ第三巻のレビューはこちらの昔のブログに書いているので、ご参考まで。

さて、本書に収録されているのは中勘助「島守」、岡本綺堂「利根の渡」、梶井基次郎Kの昇天」、島崎藤村「食堂」、黒島伝治「渦巻ける烏の群」、加能作次郎「幸福の持参者」、夢野久作「瓶詰地獄」、水上瀧太郎「遺産」、龍胆寺雄「機関車に巣喰う」、林芙美子「風琴と魚の町」、尾崎翠「地下室アントンの一夜」、上林暁「薔薇盗人」、堀辰雄「麦藁帽子」、大佛次郎「詩人」、広津和郎「訓練されたる人情」の全15篇。読んだ印象をサクッと駆け足で紹介します。

冒頭の「島守」は、ひとり清貧に島で暮らす島守の生活を描く。孤独でいることのすがすがしさが賛美される、イマドキはあまり見ないタイプの小説だ。自然の清らかさや安らぎだけでなく、貧乏の辛さがきちんと描かれているのが「癒し系」との違い。「利根の渡」は復讐する盲人の話で、百物語のひとつという体裁。だから一応怪談なんだが、といっても血なまぐさくなく、気品すら漂う奇譚だ。怖いだけじゃないふくよかな短篇。

Kの昇天」はポーを思わせる耽美主義の超有名作で、月夜に海辺で自分の影を眺めていると魂が月へ月へと流れ去っていく話。幽玄。「食堂」はがらっと変わって震災から復興する東京を老婦人の目から眺め、時代への惜別をこめて描く短篇。いかにも昔の日本文学、という線の細さが個人的にはちょっと不満。

「渦巻ける烏の群」はシベリア出兵の話。これも悲惨で暗い話かなと思ったら、ストーリーは悲惨だが小説としてはむしろ骨太で、ゴツゴツしていて、童話のような清潔感と残酷性が強烈な印象を残す逸品。舞台もシベリアなので日本の小説らしくない。次は表題作「幸福の持参者」だが、さすが表題作になるだけのことはある傑作。若い妻がこづかいはたいてコオロギを買って来るというだけの、まったく他愛もない話だが、庶民の生活の中にあるしみじみするような幸福と、皮肉で苦い結末が強烈なコントラストをなす。なんでもないようなことから情緒とアイロニーを引き出す、これはやはり小説のマジックだ。

続く夢野久作「瓶詰地獄」も有名作で、既読だが、やはり強烈。短いページ数でめくるめく陶酔と背徳の悲劇が壮麗な蜃気楼のように立ち上がってくる。そして水上瀧太郎の「遺産」がまた素晴らしい。うって変わって飄々とした味のユーモラスな短篇だが、その中に苦さと恐さがいい具合に染みている。辛辣な短篇だ。このあたりは傑作のつるべ打ちで、さすが「100年の名作」シリーズだと唸らされる。

「機関車に巣喰う」は一昔前の新感覚派といった雰囲気で、そのため文体は今となっては逆に古びている。やっぱり「新しさ」を売り物にすると古びるのもはやい。が、駆け落ちして機関車で暮らす若いカップルのボヘミアン的な闊達さと、そこに織り込まれた奇想は悪くない。「風琴と魚の町」は「放浪記」の作者による自伝的作品で、前の短篇とは正反対の、方言をまじえた素朴な文体だ。貧しい家族にのしかかる生活苦が凄絶で、それを子供目線で描いたところに微笑ましさと痛ましさの奥深いミックスがある。林芙美子って初めて読んだが、やはり只者ではない。

次の「地下室アントンの一夜」は、例によって尾崎翠としか言いようがない独特の感性の産物。マニエリスティックでとことん趣味的で、ナンセンスなテキスト。「薔薇盗人」も「風琴と魚の町」に通じるものがある、子供目線で貧しい一家の生活感を滲ませる短篇。堀辰雄「麦藁帽子」はヨーロッパ風ロマンティシズムの表現だが、少女マンガみたいで私は苦手だった。文体も今となっては古いんじゃないだろうか。

「詩人」はロシアを舞台にテロリストたちを描く、妙に垢ぬけた短篇で、この時代の日本の貧乏くささがほぼまったく匂わない。スリリングで硬質だ。そして最後の「訓練されたる人情」 は色町でたくましく生きる、あっけらかんとした女を描いた短篇。チェーホフの換骨奪胎らしいが、和のたおやかさがあって心地よい。ヒロインは何度も妊娠して子供を産むが、めげない。達者な語り口が読者を物語世界に引きずり込む。

以上だけれども、全体の特徴としては、やっぱり生活苦や経済的な困窮を題材にした短編が多いこと。かつて日本は貧しかったのだなあ、とあらためて感じる。無論それはあくまで金銭的にであって、精神の貧しさを意味するものではない。むしろバブル期などより精神的には豊かだったかも知れない。それから、直接的にではないけれども関東大震災と絡めた短篇も多い。これも、言うまでもなく人々の生活の困窮や破滅につながる大事件であり、この時代を象徴する災厄だったに違いない。

名作揃いの本書だが、あえて私のフェイバリットを選ぶと「利根の渡」「渦巻ける烏の群」「幸福の持参者」「瓶詰地獄」「遺産」「訓練されたる人情」といったところだ。次点は「Kの昇天」「機関車に巣喰う」「風琴と魚の町」。水上瀧太郎林芙美子が気になるので、短篇集でも入手してみようかな。