にごりえ

にごりえ』 今井正監督   ☆☆☆

日本版DVDで鑑賞。1953年公開のモノクロ映画である。かなり古い。今井正監督の映画は『不信のとき』ぐらいしか観ていないが、これは前のブログにレビューを書いたようにとても面白かったし、おまけにこの『にごりえ』は昭和28年のキネマ旬報年間ベストテンで小津安二郎の『東京物語』を2位に抑えベストワンに輝いている。結構な期待感とともに観たが、正直それほどのフィルムとは思えなかった。

「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」の三篇からなるオムニバス形式の映画で、どれも女流作家・樋口一葉の短篇が原作。ちなみに私は全部未読。

最初の「十三夜」は、月夜を舞台とした一幕もの。ちょっと神秘的なムードを漂わせている。久しぶりに実家に帰ってきたおせき(丹阿弥谷津子)は、高い地位を得ているが横暴で浮気者の夫に耐えられず、お父様お母様のところへ戻りたい、と両親に訴える。母は同情するが、父は辛抱しろ、どこの家でも楽な生活はないのだ、これまで辛抱できたなら辛抱出来ないことはないはずだ、と言い聞かせる。おせきは涙ながらに耐えることを約束し、車夫を呼んで帰途につく。

すると途中で、車夫が長いこと会わなかった幼馴染(芥川比呂志)であることに気づく。二人はお互いに思い合う仲だったが、それを口に出すことはない。落ちぶれ果てた車夫は、こんなだらしない自分が、今はいいところの奥様であるおせきに口をきいてもらえただけでも幸せです、と言い、おせきは何かの足しにして下さい、と言って金を渡す。二人はあくまで礼儀正しく、お辞儀をして別れる。

これだけの話である。一体何が言いたいのだろうか。「辛抱しろ。みんなで泣こう」という父親の説得は時代がかっていて、現代ではほとんどの人にピンとこないはずだ。こういう時代だった、抑圧されていた女性よ哀れ、ということだろうか。おせきは横暴だが地位が高い夫に我慢して仕える他なく、相思相愛の幼馴染とは添い遂げられない。確かにかわいそうである。そういう彼女を月がじっと見下ろしている。まあ、そういう哀れさをしみじみ噛みしめる掌編かも知れない。

次の「大つごもり」は、金持ちの屋敷で働く女中のみね(久我美子)がヒロイン。貧乏だが心清らかな彼女は、ドケチで非人情な奥方(長岡輝子)の理不尽な言動にも文句を言わず、朗らかに働いている。ある時体を病んでいる叔父夫婦に金策を頼まれ、2円の前借りを奥様に頼む。一度は承諾した奥方は、直前に気が変わり拒絶する。叔父夫婦に申し訳ないみねは、思いあまってお屋敷の箪笥の中にあった金に手をつけてしまう。そんな折も折、屋敷にふらっと戻ってきた放蕩息子の若旦那(仲谷昇)が騒動を起こす…。

「大つごもり」とは大晦日のことである。このエピソードは雪の大晦日が舞台となっている。プロットは分かりやすくスリリングで、他の二篇に比べて軽みがあり、テンポも良く、結末もハッピーエンドで後味が悪くない。みねや叔父夫婦の境遇は悲惨だが、それはあくまで舞台装置として機能し、悲嘆の押し付けにはなっていない。言ってみればより現代的で、エンタメ的である。一方で強烈な罪悪感を伴う葛藤に追い込まれていくみねの心理はちゃんと描けていて、痛々しいし、なんといっても若旦那の使い方が洒落ている。私はこれが三話中一番好きだった。

ディテールも面白い。なんといってもケチで薄情な奥方を演じる長岡輝子の芝居が最高でしょう。みねが重い器を運んで転んだ時、奥方はみねの体より器の方を心配してネチネチ嫌味を言ったりする。これ、演技している本人もメッチャ愉しかったに違いない。あと、チョイ役だがお屋敷の着飾った姉妹の一人を岸田今日子が演じている。

最後の表題作「にごりえ」は、芸妓おりき(淡島千景)の物語。売れっ子のおりきは、彼女に入れ込んで落ちぶれた源七(宮口精二)と縁を切ったがつきまとわれている。実は源七との恋にも未練があるようだが、やがて新しい粋な客(山村聰)に熱を上げ、貧乏だった少女時代の思い出話を聞かせたりする。

一方、源七は仕事もせず酒ばかり飲み、妻(杉村春子)に文句を言われると逆ギレして出ていけと怒鳴る。妻は「離縁されたら行くところがない」と泣いて謝るが許してもらえず、ついに子供の手を引いて出ていく。その直後、源七はおりきを誘い出して無理心中をはかる。

これがオムニバス三話中のメインだが、冗長かつ感情過多でかなり鬱陶しい。前の二話より力が入っているのは分かるが、私見ではそれが悪い方に作用している。芸妓たちの哀れさを強調するためかグロテスクな宴会描写が延々続き、源七の妻の繰り言も延々続く。繰り言を言った後に離縁するぞと怒鳴られると、今後は泣きながら平身低頭したりする。

なんだかなあ。これもやっぱり、かわいそうな女性の境遇を訴えたいのだろうか。だとしても、ここまで役者に嘆き悲しみを大げさに、垂れ流しの如く感情表現させるべきだろうか。私にはむしろ、こういう悲惨な物語こそ役者には感情表現を抑制させるべきだと思う。

淡島千景山村聰の、客と芸妓の腹の探り合いみたいな会話のループも内容空疎で冗長である。こういうところはもっと簡潔でいい。おりきと源七の境遇と末路には悲劇性と世の無常があって悪くないが、やっぱりこの「かわいそう」を押し付けてくる作劇がどうも好きになれない。

最後にDVDの画質について書いておくと、かなり古い映画なので時々に映像にしみがあるのはやむを得ないが、まあそこそこ観れる。個人的にはストーリーと芝居の点であまり刺さらなかったが、セットや美術を含めた映像面では、滅びゆく和の情緒を味わえる映画かも知れない。そんなモノクロの和の世界で、女性の悲哀をしみじみ味わいたい方はご覧になって下さい。