The Cakemaker

『The Cakemaker』 オフィル・ラウル・グレイツァ監督   ☆☆☆☆☆

iTunesのレンタルで鑑賞。邦題は『彼が愛したケーキ職人』だが、シンプルな「The Cakemaker」の方がずっといい。

イスラエル=ドイツ合作映画で、物語の舞台もベルリンとエルサレムである。ベルリン、エルサレム両都市ともに街並みが繊細で、色彩豊かで、同時にガラス細工のような静けさを湛えていて、とても美しい。エルサレムがこんなに美しい街だとは知らなかった。あるいは、これも映画のマジックだろうか。

タイトル通り、ベルリンで菓子店を営む若いケーキ職人が主人公。後に観客は、彼が父も母も知らず祖母に育てられた孤独な青年であることを知るが、映画の冒頭では何も分からない。ただ、清潔なエプロンをつけた若い菓子職人がいるだけである。

この映画は登場人物について、あるいは彼らを取り巻く事情や物語のこまごました綾について、決して声高には語らない。ごくさりげなく、だんだんと、とても控えめに情報を提示していく。それによってわざとらしくなく、自然に謎めいた雰囲気が醸し出される。主人公のケーキ職人と同じく、その寡黙さがこの映画のスタイルである。

さて、ベルリンのケーキ職人トーマスとイスラエルのビジネスマンであるオーレンは、ベルリン出張中のオーレンがトーマスの店を訪れたことをきっかけに、同性の恋人同士となる。オーレンが仕事でベルリンに来るたびに二人は会い、オーレンはトーマスが焼いたクッキーを家族へのみやげとして持ち帰る。ある時オーレンの連絡が途絶え、しばらくしてトーマスは彼が交通事故で死んだことを知る。

トーマスはオーレンが暮らしたエルサレムへ行き、未亡人のアナトが経営するカフェに立ち寄って仕事はないかと尋ねる。アナトはトーマスを皿洗いとして雇い、やがて彼が焼くクッキーを店で出すようになる。アナトの兄はドイツ人のトーマスを嫌い、宗教を理由に彼を遠ざけようとするが、アナトは息子イタイとふたりきりの夕食にトーマスを招待し、家族づきあいをするようになり、やがてアナトはトーマスと関係を持つ。しかし、オーレンの遺品から彼の素性が発覚し、トーマスはアナトの兄にベルリンへ追い返される…。

このように、この物語は三人の人間を軸に展開する。エルサレムとベルリンを行き来するオーレン、エルサレムにいるその妻アナト、ベルリンにいる菓子職人トーマス。最初、アナトとトーマスはお互いを知らない。オーレンが死んだ後、二人の孤独な魂はオーレンに引き寄せられるようにしてエルサレムで出会い、愛し合うようになる。しかし、オーレンの遺品が今度は二人を引き裂き、その愛ははかなく失われていく。

そこまで強力なプロットではないが、優しくしみじみとした、ひそかやかな祈りを思わせる物語である。基本的にラブ・ストーリーだけれども、人々の営みを高いところから見守るような透徹した視線があり、物語を膨らませる謎めいた余白がある。たとえば、なぜトーマスはエルサレムにやってきたのか。なぜアナトのカフェで働こうと思ったのか。

それからまた、この三人の男女が織りなすロンドには、さまざまな境界線を越えて行こうとするモーメンタムがある。たとえば男女の性差、国籍、宗教。中でも、宗教にからむエピソードは特別な重要性を持たされている。アナトのカフェはトーマスを雇うことで「コーシャ」ではないと非難され、客を失う。アナトの兄のモッティは最初からドイツ人のトーマスに敵意を抱いている。

この物語には、一貫して二つの民族の確執が不穏な底流として流れている。トーマスとアナトは違う文化圏の人間であり、二人の間には最初から目に見えない壁が存在するのである。

更に、これは人々の人生がどのように予測を超えて絡み合っていくかの物語でもある。同時に、真実がどれほど残酷に人々の人生に干渉するかの物語、とも言えるかも知れない。トーマスもアナトも基本的に善意の人であり、他人に対する悪意や害意で行動したことはない。ただトーマスは、自分がオーレンの恋人であったことを隠していただけだ。

それに彼はオーレンの人生のかけらに触れたかっただけで、アナトと親密になることはもともと意図していなかったはずだ。にもかかわらずそれは起き、たまたま明るみに出た真実によって破壊される。

ベルリンとエルサレムを舞台に繰り広げられるのは、このように柔らかく、ふくらみをもった、多義的な物語である。美しい街並み、静かな光あふれる室内、寡黙な人々。そしておいしそうなケーキやクッキー。ひとつひとつのエピソードの緩さ、静けさ、風通しのよさが心地よい。開かれた結末もこの控えめな映画に似合っている。あのあとアナトとトーマスが再び会うことになるのかどうかは、観客の想像に委ねられている。

そして、主演の二人がよても良い。寡黙なバイセクシャルな青年と、生活感を漂わせたカフェの女主人。決してスケールが大きな物語ではなく、控えめでささやかな佳品といった趣の映画だが、全体を包み込む香気と気品には特筆すべきものがあると思う。