Searching

『Searching』 アニーシュ・チャガンティ監督   ☆☆☆☆

iTunesのレンタルで鑑賞。予告を見てなかなか面白そうだと思ったのだが、実際観てみると予想以上に良かった。韓国人一家が主役のスター不在の映画であること、SNSやインターネットが大きくフィーチャーされているらしいこと、娘の失踪後に父親が娘の本当の姿を発見してショックを受ける映画らしいこと、などから、ネットの不気味さをクローズアップした、ダークでサイコな映画なのかと思ったら、実はきわめてウェルメイドなスリラー・サスペンスものだった。

スタイリッシュな映像と、どんでん返しに次ぐどんでん返し。これならデート・ムービーとしても安心しておススメできます。鑑賞後の後味も、大変よろしい。

主役はアメリカ合衆国に住む韓国人の家族。母親はすでに病気で死に、娘が高校生となった今は父と娘の二人暮らしである。冒頭、娘が幼かった頃から母親の死まで一家の軌跡が駆け足で流れるが、映像はすべてPCの動画やネットの映像である。つまりこの映画は、すべてPCやスマホなどのデジタル機器の画面映像によって構成されていて、それがウリだとのこと。なるほど、考えたなあ。

要するに今の時代、それだけで十分にストーリーテリングが可能だということだ。加えて、インターネット抜きでは成り立たない現代社会というものを視覚的に表現する、いわば雰囲気作りとしても効果的だ。

編集や見せ方もうまい。TV電話やカメラでの撮影時以外は顔を映せないわけだが、たとえばポインタの逡巡やテキストの打ち直しで心理描写をしてしまうのは、なるほどなと感心した。もはや、ポインタの動きにも「表情」があるのである。LINEでいったんメッセージを打ち、送信前に思い直して書き換えるなんてのも、かなり高度な心理描写ではないだろうか。

とは言え、それらは結局のところ装飾でしかない、というのもまた事実。この映画のクオリティを本当の意味で支えているのは、やはりきちんと練られたストーリーであり、細かく張られた伏線の数々である。この映画は決してテック・ギーク向けの映画ではない、ということはお断りしておきたい。

さて、父と娘の二人きりながらも平和な生活を送っていた家庭から、ある日突然娘が消える。父親のデビッドは警察に捜索願を出し、自分でも娘のSNSアカウントやアドレス帳を調べ、娘の友人にコンタクトしたりネットのログをチェックしたりする。次々と明らかになる娘の真実は、父親にとって衝撃的なものだった。デビッドは自分が本当の娘の姿を何も知らなかったこと、自分が知っていた娘は虚像だったことを知る...。

と、まずは娘の不可解な行動が不気味さを伴ってクローズアップされていく。なるほど、こうやって目に入れても痛くない娘のダークサイドが暴露されていくのか、と思わせたあたりから、プロットの曲芸飛行が始まる。

ネタバレしないようこの先の展開には触れないが、観客は鼻づらをつかんで振り回される気分を味わえるだろう。これが真相と思われる仮説が現れては消え、プロットは思ってもいなかった方向へ何度も急カーブをきる。終盤は、ジェフリー・ディーヴァー並みのどんでん返しが連発される。

ただ単に意表をつくどんでん返しに翻弄されるだけでなく、きっちり伏線が回収されていくのも快感だ。観終わった後「なんと、アレも伏線だったのか~」と驚くシーンがいくつかある。アレとかアレとか...…そのあたり、かなり巧緻である。隅々まで、職人的に細かく練られている。アイデア一発の粗くて青い映画ではない。

主人公のデビッドとその娘が、いかにも地味でフツーの顔をしているのもいい。この映画にはそのリアリティこそが生命線だ。そもそもスマホやPCの画面には、銀幕のスターの顔よりも市井の人々の生活感あふれる顔こそがふさわしい。

それにしても、私はITを生業としているくせにガジェット好きでもSNSマニアでもなく、インスタもツイッターもやってないが、イマドキの若者ってこんなにネットやSNSどっぷりの生活をしているのだろうか。

フェイスブック、LINE、YouTube、インスタを縦横無尽に使いこなし、電話はテレビ電話がデフォルト、自分の映像をライヴ配信するサイトで見知らぬ誰かとつながったり、プライバシーをチラ見せしたりする。あのサイトって実在するのかな? 私にはそれすら分からないが、もはやインターネットなしではあり得ない生活だ。こんな人は、一日ネットがダウンしたら恐慌を起こすのではないだろうか。

まあそんな驚きや感慨も味わえて、なかなか刺激的な映画体験だった。臨場感のある高品質なスリラーでもあり、ウェルメイドな娯楽映画に飢えている人に強めにプッシュしておきます。